名女優 樹木希林さんについて
9月15日に75歳で死去した、女優の樹木希林さん。
フジカラーのCMが印象的でフジカラーといえば樹木希林さんを思い出す
くらいにまでの印象があります。
本名 | 内田 啓子(旧姓:中谷)[1] |
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別名義 | 悠木 千帆[1] |
生年月日 | 1943年1月15日 |
没年月日 | 2018年9月15日(75歳没) |
出生地 | 東京府東京市[1] (現・東京都千代田区)[2] |
死没地 | 東京都渋谷区 |
血液型 | A型 |
職業 | 女優 |
ジャンル | 映画・テレビドラマ |
活動期間 | 1961年 – 2018年 |
活動内容 | 1961年 – 文学座に入団 |
配偶者 | 岸田森[2](1964年 – 1968年) 内田裕也(1973年 – )[2] |
著名な家族 | 内田也哉子[2] 本木雅弘 内田伽羅 |
(引用・出典:Wikipedia – 樹木希林 )
樹木希林さんの死因について
5年前より全身に癌があることを告白し、癌とともに生きる姿が印象的でした。
最後は東京の自宅で家族に看取られながら最後の時を過ごされたとのことです。
では死因は全身の癌が原因だったのでしょうか?
原因のひとつではあると思いますが、実は本人が死を悪いことと思っていないという事柄がありました。
「人は必ず死ぬというのに。
長生きを叶える技術ばかりが進歩して
なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。
死を疎むことなく、死を焦ることもなく。
ひとつひとつの欲を手放して、
身じまいをしていきたいと思うのです。
人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。
それが、私の最後の欲なのです」
この言葉から長生きを求めていないのが分かります。
75歳というのは、樹木希林さんにとっては十分すぎる人生だったのかもしれません。
内田裕也さんについて
1973年10月に内田裕也と再婚するが、1年半で別居し、その後別居生活を続けている。1981年、内田が無断で離婚届を区役所に提出するも、樹木は離婚を認めず、離婚無効の訴訟を起こし勝訴した。その後は1年に1回連絡を取り合う程度の関係となったが、2005年1月、乳癌が判明して摘出手術を受けたことを機に連絡は1か月に1回となり、以降毎年1月は一緒にハワイで過ごすようになったそうです。
そんな内田裕也さんですが現在は
夫でロック歌手の内田裕也(78)は
コメントを出せないほどショックを受けている。
との事で、現状奥様の死については公言していません。
さすがにロックンロールの一言も出ない状態ですので
今後のコメントに注目です。
総合まとめ
いかがでしたでしょうか?
長女内田也哉子(42)さんに今後樹木希林さんの分も頑張って女優業に励んで頂きたいですね。
サイト閲覧して頂きありがとうございました。